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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2139号 判決

控訴人 沼田想次 外二名

被控訴人 沼田むめ

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人らは被控訴人に対し原判決別紙目録一記載の土地を明渡せ。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その九を控訴人らの連帯負担とし、その一を被控訴人の負担とする。

事実

第一控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

第二当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれをここに引用する(ただし、原判決三枚目表七行の「節子」を「せつ(通称節子)」と訂正する)。

一  当審で付加された当事者双方の主張

(控訴人ら)

1 仮に、亡沼田直美が原判決別紙目録一及び同三記載の土地(以下、本件各土地という。)を控訴人想次に贈与したものと認められないとしても、

(一) 控訴人想次は、昭和二〇年一一月頃亡直美から、本件土地を沼田家の家業である農業の承継及び控訴人ら家族の生計維持の目的で使用貸借契約に基づき借り受けた。

(二) 控訴人正弘は、本件建物を建築するに際し、昭和四二年四月一〇日頃亡直美から本件土地のうち原判決別紙目録三記載の土地を建物所有の目的で使用貸借契約に基づき借り受けた。

(三) 仮に、右の各使用貸借契約が農地調整法に基づく許可・承認ないし農地法に基づく許可を欠き無効であるとしても、控訴人想次は、右使用貸借契約に基づく使用借をなす意思で本件各地全部を昭和二一年六月頃より占有していたから、二〇年を経過した昭和四一年六月頃には本件各土地につき右契約と同内容の使用借権を時効取得しているのでこれを援用する。

2 解約もしくは解除による使用借権の消滅については争う。

3 仮に、控訴人に対する本件土地の贈与もしくは前記1の主張事実が認められないとしても、被控訴人の本件土地明渡請求は権利の乱用である、すなわち、被控訴人は既に居宅、宅地を所有しその居住には全く困らず本件土地を使用する必要もなく、その年令に徴しても今更本件土地を耕作する等使用できるものではない。亡直美は、控訴人想次に対しその生活をおびやかすことになる本件土地の返還請求を極力避けてきたものであり、生家へ戻ることを全く考えていなかつたものであつて、終局的には控訴人想次に本件土地を贈与し沼田家を継続させようとしていたものである。一方控訴人らは現に本件土地を使用して生計をたてているものであり、これを被控訴人に返還すると、生計の資及び居宅を奪われ、三〇年間かかつて築いてきたこれまでの生活を全て始めからやり直ししなければならず、生計に重大な影響を受けるものである。被控訴人は、現在本件土地を使用する必要もなく、控訴人想次が死亡すれば本件土地のうち控訴人正弘所有の建物の敷地となつている土地を除いて確実に返還を受けられるのである。以上の双方の事情を考慮すると被控訴人の本訴請求は権利の乱用である。

(被控訴人)

1(一) 亡直美が控訴人想次に対し原判決別紙目録一記載の土地のうち農地及び宅地(現況畑)上の旧建物を使用貸借していたことは認めるが、その時期は昭和二一年六月頃からである。右目録一記載の土地のうち山林、原野については、亡直美が右使用貸借に附随して控訴人に事実上使用を認めていただけのものである。また旧建物も控訴人らが昭和四二年頃原判決別紙目録二記載の本件建物に移転してから空家となつたので取り壊され、右使用貸借の対象でさえなくなつた。右使用貸借契約当時の農地調整法は、農地の使用借権等の設定については地方長官又は市町村長の認可を受けなければその効力が生じないものとしていたので、前使用貸借契約中農地を目的とする部分は無効である。因みに亡直美に右認可申請協力義務があつたとしても一〇年以上経過しているので右義務は時効消滅している。

(二) 原判決別紙目録三記載の土地はもともと農地であり、控訴人想次が(一)に述べたと同様の経過で使用してきたものであるが、控訴人らは昭和四二年頃亡直美に無断で同地上に本件建物を建築したものである。控訴人らは右土地を宅地化するについて農地法五条の転用許可を得ていないので、宅地としての使用貸借契約が有効に成立する余地はない。

(三) 控訴人らは、従来本件土地の贈与を受けたと主張してきたものであつて、本件土地を使用借の意思で占有してきたものでないから、使用借権の取得時効は成立しない。また原判決別紙目録三記載の土地については家屋敷地として使用借する意思での占有を一〇年以上継続していないから、未だ右目的の使用借権を時効取得する余地はない。

2(一) 仮に本件土地の使用貸借契約が有効に成立したとしても、その目的は、控訴人らの主張するごとく、沼田家とその家業である農業を控訴人らに承継させ控訴人ら一家の生計を維持するというような目的のものではなく、控訴人想次が戦後の混乱した時代に食糧難、住宅難、就職難を回避するため時世が平穏化し再就職できるまで本件土地を使用して生計をたてるという目的及び期限で契約されたものであり、亡直美の必要に応じ何時でも返還することを約束していたものであるところ、既に右のような混乱時代は過ぎ、同人の子供らも既に成長して就職し又は結婚し、控訴人らは裕福な生活をするに至つている。従つて控訴人想次は右目的を充分に果し、かつ充分な期間本件土地を使用してきたから、今やこれを返還すべき時期が到来している。仮に本件土地の使用貸借契約の目的が控訴人らの主張するようなものであつても、それは永久的に貸借するという趣旨のものではなく、返還期限の定めのない使用貸借契約に該当するところ控訴人ら既にその目的である使用収益を終了し、あるいは少くともその目的を果しうるだけの期間が経過したものというべきである。

而して、被控訴代理人は、原審における昭和四八年九月一七日準備書面により原判決別紙目録三記載の土地につき使用貸借契約を解約する旨の意思表示をなし、右準備書面は同年九月二〇日控訴人ら訴訟代理人矢田部理に送達された。また、被控訴代理人は、当審における昭和五二年一月三一日付準備書面により本件土地全部につき使用貸借契約を解約する旨の意思表示をなし、同準備書面は同年二月二日に控訴代理人に交付された。

(二) 仮に右解約申入れがいずれも許されないとしても、控訴人らは原判決別紙目録三記載の土地につき前記(二)のように無断で農地を本件建物の敷地化してしまつて用法違反を犯したことになるところ、被控訴代理人は、当審における昭和五三年六月一七日付準備書面により本件土地全部につき使用貸借契約を民法五九四条三項に基づき解除する旨の意思表示をなし、同準備書面をその頃控訴代理人に交付した。

(三) 仮に本件土地につき控訴人らがその主張のごとき使用借権を時効取得したとしても前記(二)に述べたところと同じ理由で解約又は解除されたものである。

3 被控訴人の本訴請求は権利の乱用ではない。

被控訴人は、東海村にある日本原子力研究所に勤務する長男龍雄と一緒に故郷である本件土地に帰り、兼業農家として自ら耕作して居住するつもりであり、本件土地を必要としている。被控訴人が現在住んでいる水戸市千波の家と宅地は借家住いしている被控訴人の次男幸雄の住居にあてる必要がある。控訴人想次は本件土地以外に耕作できる土地が三反歩余あり、村有地五〇坪の払い下げを受けているので同所に住家を建てることも可能であり、その長男、二男、三男は勤務に出、長女、次女は既に結婚して外に出ているため現在は極めて豊かな生活をしている。亡直美は警察官退職後は本件土地に帰ろうとしていたが、控訴人らが本件土地の返還に応じないので、死ぬまで本件土地のことを心配していたものである。控訴人らは被控訴人を憎悪し、昭和五三年五月二日には親子で被控訴人に暴力を振つたこともある。

右のような事情のもとで被控訴人が控訴人らに対し本訴請求に及んだとしても権利の乱用といえるものではない。

二  当審で付加された証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因事実は、被控訴人が本件土地の所有権を取得したとの点を除いて、当事者間に争いがない。

二  控訴人らは、亡直美が昭和二一年頃本件土地を控訴人想次に対し贈与した旨主張する。

原審における証人丹高光の証言並びに原審及び当審における控訴人想次の本人尋問の結果中には、昭和二一年当時直美が警察官として勤め、本件土地及び生家で農業に従事する意思を有せず、しかも本件土地が不在地主の土地として農地解放の対象となることを避けるため、控訴人想次に対し本件土地を含む亡父次郎介の遺産をやると言明していた旨の供述部分がある。しかしながら、原審における証人石田せつの証言及び控訴人敏子の本人尋問の結果並びに右によつて控訴人敏子が作成したものと認められる甲第一八号証によると、本件土地等の保持に甚しく執着していた被控訴人の要求に基づくとはいえ、控訴人敏子が昭和二三年四月三日付で夫である控訴人想次の名義で「私儀兄所有ノ水田及ビ畠兄帰宅シ必要アリ耕作スル場合ハ何時ニテモ返還イタシマス」などと記載した証書を被控訴人に差し入れていることが認められ、また、原審における証人小林義治の証言及びこれによつて真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の一・二によると、昭和三六年一月六日頃控訴人想次が小林義治に対し兄直美の田畑をとる意思はなく直美が帰郷するときは返還するつもりである旨を言明していたことが認められ、さらに成立に争いのない乙第八ないし第一一号証の各一、二によると、亡直美は、昭和二九年一〇月当時も昭和三五年当時も、本件土地の所有権が同人であることを前提にして、控訴人想次に対し、一部換金してほしい旨あるいは今後も控訴人想次に使わせておくから心配しないでよい旨等を手紙で言明していたことが認められる。右認定事実及び前掲控訴人想次の本人尋問中の他の供述部分に徴すると、控訴人らの主張に副う前記証言や本人尋問の結果はたやすく採用することができず、他に右贈与の事実を認めるに足る証拠はない。

三  亡直美が戦後控訴人想次に対し、本件土地のうちの農地及び同人らの生家である旧建物を使用貸借したこと、本件土地のうちの山林、原野の使用も併わせて認めてきたことは、被控訴人において自認するところであり、右事実によれば、亡直美と控訴人想次との間に、結局本件土地全部(旧建物の敷地部分を含め)についての使用貸借契約が成立していたものというを妨げない。

そこで、右使用貸借契約の成立時期、使用貸借期間及び目的について判断する。

前掲甲第一八号証、同第二〇号証の一・二、乙第八ないし第一一号証の各一・二、成立につき争いのない甲第一五ないし第一七号証、原審における証人石田せつの証言、原審及び当審における控訴人想次、被控訴人の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

本件土地や旧建物等は、直美が大正一三年二月一〇日に家督相続によつて亡父次郎介から承継し、母ヨシや姉妹と一緒に農業経営してきたものであるが、直美が昭和一二年応召し昭和一五年に除隊するも、農業に従事することを好まず、同年警察官となつて妻の被控訴人ともども茨城県那珂湊に赴任し生家を離れてから後は、ヨシと妹やえとが本件土地で農業に従事していたところ、昭和一八年三月にヨシが死亡し、昭和一九年やえが他に嫁するに至つて、同建物に居住し本件土地などを耕作する者がいなくなつたため、右建物は訴外秋本に貸与され、本件土地の田畑は近隣の者の小作に供されていた。控訴人想次は、昭和一〇年頃生家を出て日立製作所や中島飛行機製作所に勤務していたが、終戦とともに失職し、警察官として引続き勤務していた直美より生家に戻ることの承諾を得、昭和二〇年一〇月頃妻である控訴人敏子、長男である控訴人正弘(昭和一六年生)、二男弘之(昭和一八年生)、長女典子(昭和二〇年一月生)を伴つて生家に戻り、暫く同建物で借家人秋本と同居してかつぎ屋などをして生計をたてていたが、昭和二一年六月頃秋本も右家を出たのでこれを住居とし、沼田家の田畑を耕作して農業を営み、親戚に口頭契約で小作に供していた田畑も同人が返還を受けて使用することについて直美の了承を得、その頃右小作地の一部の返還を受けて農業に専従し、他はこれを管理して逐次返還を受け、直美の了解のもとにこれらの田畑を直接耕作し、本件土地ほか五筆の田畑による農業を営んできた。直美としては、当時警察勤めを続け、自ら農業には従事しない意思をもつていたので、本件土地等が不在地主の土地として買収されるのを避け、沼田家の自作地としてこれを確保し、併せて控訴人想次一家の生計を維持させる方策として、本件土地等を控訴人想次に耕作管理させるつもりであり、自分が警察官退職後帰郷し本件土地等を耕作することも念頭になかつたわけではなかつたが、昭和二九年頃から昭和三五年頃になると、自分が本件土地等を控訴人想次から返還してもらうと同人の生活が苦しくなることを心配し、自分は町で別に家を建てて生活するから控訴人想次においていままでどおり耕作を続けてよい旨などと、控訴人想次に対し、手紙で言明していた。ただ直美は、本件土地等の処分等のこととなると狂乱状態になつて反対する被控訴人に手を焼いていたので、同人に対しては右のような意図を隠していた。控訴人想次は、昭和四二年頃直美に対し生家を取り壊してその跡地に家を新築したいと申し入れたところ、そのようなことをすると被控訴人が文句を言い出すから生家の東側の畑地(原判決別紙目録三記載の土地)に建てるようにと直美に言われたので、右土地につき県知事の転用許可を得て同年四月三〇日頃原判決別紙目録二記載の建物を控訴人正弘名義で建築した。右の転用許可手続については、これに必要な直美の承諾書や印鑑証明書は同人より送付してもらい、建築資金を控訴人正弘の勤めている会社から借用する関係上右建物の建築主を同控訴人として敷地も同控訴人が使用借することについても直美の承諾を得てなしたものである。

なお、被控訴人においては、本件土地のうちの農地及び旧建物の控訴人想次に対する使用貸借契約が昭和二一年六月頃成立したことを認めており、また記録中の本件訴状及び昭和四八年九月一七日付被控訴人側準備書面によれば、直美が昭和四二年七月に原判決別紙目録三記載の土地を控訴人正弘に期限の定めなく使用貸借したことを被控訴人において自認していることが認められる。

右の認定事実及び弁論の全趣旨によれば、直美と控訴人想次との本件土地等の使用貸借契約は、昭和二一年六月頃成立し、その直接ないし間接の占有の引渡もなされ、その使用貸借の期間についてはこれを限定する特段の合意もなく、その使用、収益の目的は主として控訴人想次一家の農業による生計の維持にあつたものであり、ただ本件土地のうち原判決別紙目録三記載の土地(以下、現宅地という)については、昭和四二年四月頃直美と控訴人正弘との間で、同目録二記載の建物の敷地とする目的で期間の定めなく、改めて使用貸借契約されたものであると認めるのが相当である。

原審における証人沼田龍雄の証言並びに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する部分はたやすく措信できない。

四  被控訴人は、本件土地の使用貸借契約が農地調整法ないし農地法に違反し無効であると主張するのでこの点について判断する。

本件土地のうち原判決別紙目録一の一記載の土地は、使用貸借契約の成立した昭和二一年六月当時宅地であり、同目録九ないし一四の山林ないし原野は農地調整法等の移動統制の対象でなかつたものであるから、右土地の使用貸借契約が有効であることは明らかである。同土地がその後地目が宅地ないし山林、原野のまま現況において畑地化しても、右契約が農地法上無効となるものではない。

本件土地のうち控訴人正弘に使用貸借された土地については適法に農地法上の転用許可がなされていることは前記認定のとおりであり、右土地の使用貸借契約が有効であることも明らかである。

ところで、まず農地の移動統制に関する法令の戦後の改正・立法経過について右判断に必要な限度で概観すると昭和二〇年一二月二九日法律第六四号により改正された農地調整法の五条に「農地ノ所有権、賃借権、地上権其ノ他ノ権利ノ設定又ハ移転ハ当事者ニ於テ地方長官又ハ市町村長ノ認可ヲ受クルニ非ザレバ其ノ効力ヲ生ゼズ」という規定が設けられたが同法六条三号は「農地ヲ耕作ノ目的ニ供スル為」これらの権利を取得する場合を右五条の適用除外例としていたところ、昭和二一年一〇月二一日法律第四二号により同法は改正され、その四条には「農地ノ所有権、賃借権、地上権、其ノ他ノ権利ノ設定又ハ移転ハ命令ノ定ムル所ニ依リ当事者ニ於テ地方長官ノ許可又ハ市町村農地委員会ノ承認ヲ受クルニ非ザレバ之ヲ為スコトヲ得ズ」と規定され、従前の六条三号の除外例も廃され、耕作の目的に供するための権利移動であつても許可・承認の対象とされるに至り、右四条の規定が昭和二七年七月一五日法律第二二九号農地法三条に引き継がれ、農地の使用貸借による権利の設定もしくは移転については農業委員会の許可を受けなければならない旨規定されるに至つたものである。

本件土地のうち農地についてなされた使用貸借契約は、前記のとおり昭和二一年六月頃に成立したものであり、前記の昭和二一年一〇月二一日法律第四二号による農地調整法の改正法の施行期日は、同法附則一項、二項、昭和二一年一一月勅令第五五五号により同年一一月二二日と定められたので、右契約は同法施行前に成立したものであることが明らかであり、耕作の目的に供するために使用貸借されたものであるため、右改正前の農地調整法上は移動統制の対象でなかつたものであり、その使用貸借契約は有効であるというべきである。

五  そうすると、本件土地のうち原判決別紙目録一の土地については直美の相続人である被控訴人と控訴人想次との間に有効な使用貸借契約が存在し、原判決別紙目録三の土地については被控訴人と控訴人正弘との間に有効な使用貸借契約が存在していることになるところ、被控訴人はそれらの契約の解約ないし解除を主張するので、以下その点について判断する。

1  直美と控訴人想次との間の本件土地等の使用貸借契約は、もともとその使用貸借の期間について定めはなく、その使用・収益の目的は主として控訴人想次一家の生計を維持させることにあつたことは前記三に説示したとおりである。原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、控訴人想次は昭和二一年以来本件土地等で農業を営み、子女を養育し、三人の息子は既に成人して勤め人や自営業者として稼働し、二人の娘も他に嫁し、現宅地には控訴人正弘名義で家屋を保有し、兼業農家として被控訴人一家より裕福な生活ができるまでに至つていること、控訴人想次は昭和三一年に直美から贈与を受けた田約一反八畝・畑一反歩を所有するほか他に小作地も若干保有しており、原判決別紙目録一の土地を返還しても生活に窮するものではないことが認められる。従つて、控訴人想次は、本件土地等を長期間使用し、その生計を維持する目的を充分に果したものと認められ、貸主である被控訴人は現時点において控訴人想次に対し、別紙目録一の土地の使用貸借契約を解約してその返還を請求することができるものというべきである。

而して、被控訴代理人が昭和五二年一月三一日付準備書面により本件土地全部につき使用貸借契約を解約する旨の意思表示をなし、同準備書面が同年二月二日控訴代理人に交付されたことは記録上明らかであるので、同日をもつて右の山林、原野の使用貸借契約は解約されたものというべきである。

2  直美と控訴人正弘との間の現宅地の使用貸借契約は、その使用貸借期間について定めはなく、その使用収益の目的は、昭和四二年四月同地上に建築された建物を保有するための敷地とするところにあつたことも前記三に説示したとおりである。而して、右建物は建築後一〇年位を経過したに過ぎないもので、現に控訴人らが居住の用に供していることは弁論の全趣旨に照らして明らかである。従つて、現宅地については右使用貸借契約に定めた目的に従つて使用、収益を終つたものとはいえず、また使用、収益をなすに足るべき期間経過したものともいえないから、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の右使用貸借契約の解約は失当である。

3  被控訴人は、現宅地がもともと農地であつたものを控訴人らが無断で本件建物の敷地としたのは用法違反であるとし、その使用貸借契約の解除を主張するが、控訴人らが右土地を宅地に転用し本件建物の敷地化したことについては直美の承諾があつたものであることは前記三に説示したとおりである。

従つて右解除の主張は前提において失当である。

六  最後に、控訴人らは被控訴人の本訴請求が権利の乱用であると主張するので、この点について判断するに、控訴人想次が本件土地等を長期間使用し、その家族の生計を維持する目的を充分に果し、現在被控訴人一家より裕福な生活をしていることは前記五の1に説示したとおりであり、前掲被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被控訴人は現在住んでいる水戸市千波の家と土地を借家住いしている次男幸雄の住居にあて、本件土地に長男龍雄夫婦ともども移住して兼業農家として生計をたてるつもりであること、直美は既に死亡し本件土地の帰属、返還をめぐつて控訴人らと被控訴人との間に長い間紛争確執が続き相互に信頼関係が失われていることが認められる。右のような事情のもとにおいては、被控訴人が亡夫直美の本意としていたところと異り、控訴人らを困惑させるような本訴請求をしたとしても、権利の乱用であるとまではいえない。

七  以上によれば、控訴人想次は原判決別紙目録一の土地について有していた使用借権は被控訴人の適法な解約によつて消滅したから、被控訴人に対し、右の土地を明渡す義務がある。他方控訴人正弘は本件土地のうち現宅地について建物保有のための使用借権を有しているから、被控訴人の同控訴人に対する建物収去土地明渡請求及びそれを前提とする控訴人想次、同敏子に対する建物から退去して現宅地の明渡を求める請求はいずれも理由がない。

八  よつて、被控訴人の請求を全部認容した原判決は、原判決別紙目録二記載の建物の収去と同目録三記載の土地の明渡を命じた部分において不当であるからこれを変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 外山四郎 海老塚和衛 鬼頭季郎)

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